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子育て雑感

2005.02.02 Wednesday | by 【し】
極真をならっている小学生、T君の日々を見ていると、
と云っても、母親の日記サイトを読んでいるだけだが、
子育ての難しさ、苦労が間接的にだが伝わってくる。
自分にこんなことができるだろうかと不安にもなる。

最初から”親”な人はいない。
子供と共に”親”になるのだ。

どこかでそんな言葉を聞いたような聞かなかったような。
子供が成長するように、親も成長していくものなのだろう。
子供もいないうちから子育てを心配しても始まらない。

でも、教師という存在はどうなんだろう。

T君の担任の言動を聞くと、なんだか納得がいかない。
教え子は担任の作品ではないし、成果物でもない。
イタズラだって喧嘩だってするのが子供。あたりまえだ。

もちろんしない子供だっているが、それは個性ってものだ。
イタズラも喧嘩もない教室は静かでいいのかもしれないが、
そんなの逆に気持ち悪いと感じるのは私だけだろうか。

連絡帳って昔はあっただろうか。あったような気もするが、
あくまで「風邪で欠席します。」みたいな連絡用だったはず。
その存在を恐がられるようなものではなかったような気がする。

でも、多分教師側にもそれは負担になっているのであろう。
教師とはいえやはり仕事として行っている作業であり、
生活の糧を得るための手段という面も少なからずあるのだ。

結果を出さなくてはならないし、問題もおこしたくない。
同僚の視線や上司の視線もあるし、私生活だってある。
教育制度も現場に関係なくコロコロ変わる。(のかな?)

そんな逆風を全てかわした上で子供を教え導くのは大変だ。
教師にだって個人差個性がある。みんながみんな同じことを、
同じようにこなせるなんて、これもやっぱり気持ち悪い。

教師は学問の師であり、人生の師ではないのかもしれない。
もちろん、師と仰ぐに値する教師にも私は何度か出会った。
それは運がよかっただけで、こんな大人になっちゃいかんな、
というレッテルを貼り付け蔑んでいた教師も少なからずいる。

今更ながら思うのは、子供もちゃんと見ているということ。
子供なりの価値観ではあるが、それに基づき考えている。
その価値観が間違いそうな時だけ、親は諭せばいいのだろう。

もちろん、どんな価値観を持っているかを知るためには、
いつもコミュニケーションをとっている必要があるだろう。
今の私にその時間を捻出することができるかは不明だが。

よそはよそ。うちはうち。

私の両親は、何かあるたびにこの言葉を使っていた。
理不尽に感じた時期もあったが、いつのまにか自分自身、
そのスタンスで物事を見るようになっていた気がする。

それが良いことか悪いことかは別として、親の言葉とは、
そういう形でいつの間にか身につくものかもしれない。
教わったわけではない。真似をするようになっただけだ。

教師の役割、親の役割。教師の仕事、親の仕事。
子供の役割、子供の仕事。そして社会の役割。
実際、難しい問題ばかりである。

けど、きっとこれには沢山の答えがあるはずなのだ。
【し】家には【し】家の答え。T君にはT君の答え。
それを導き出そうとする努力を怠ることが唯一の誤答。

何度間違ってもいいんだと思う。試験じゃないんだから。
子供と一緒にあっちこっちぶつかりながらコケながら、
その子供が自分の子供と歩いていける日が来るまで、
一緒に並んで行ければいいな、と、まだ見ぬ子供に思う。


※思ったことを並べただけの文章なので、
 つじつまとか文章的な間違いとかには、
 目をつぶってください。(笑)

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